主宰・髙橋広大が思う「つかこうへい」

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  • 2019

偏見まみれの登場人物と、捲し立てられるような下品な会話の応酬。
灯り一つで場面は捜査室から砂浜へと移り、俳 優は斬られても斬られても喋り続ける。
これらがごちゃまぜになり、観る者を大いに混乱させ、圧倒したと思えば、 ふっと涙ぐみたくなるほどロマンチックで繊細な感性と、 無骨で人間味溢れるセリフがさらりと出てくる。

「非日常性と矛盾」 ——— これこそがつかこうへいの魅力だと僕は思う。

あえて(かは知らないが)、日常的かつ質素な「捜査室」や「撮影所」を舞台とし、 あえて(かは知らないが)、非日常的かつ情報過多な人物を対照的に登場させる。
一人の人間が裡に抱える矛盾や脆さが顕在化していき、その不整合を徹底的に嘲けるものの、 その混沌を飲み込む心意気にこそ本質的な「優しさ」が在る。
そう、つかさんに教えられた感覚になり、少しだけ誰かを大切にしたくなる。

やんや言葉を費やしたが、一言で言えば、「ニクい(ニクすぎる)」芝居なのだ。

この天才が残した芝居のフレームワークを、僕は変えようとは思わない。
むしろ下手に手を出し、彼が残した演劇への「熱」を奪いたくないし、
思い立ったように旬な俳優と時事ネタだけを更新した芝居は趣味じゃない。
今でも覚えているが、僕と土屋が早稲田大学文学部の教室で誓ったのは、 つかさんが体験できなかった時代、歴史、事件を、 彼と同じ演劇というフレームの中で、 僕らなりに「解釈」していこうということだった。

東日本大震災も。東京五輪も。令和という時代も。
僕たちは決してつかさんの解釈を知ることはない。
だけど、つかさんが示した「優しさ」は、 どの時代にも普遍的に存在しうるものだと考えている。

僕らの解釈が、目の肥えたつか芝居ファンの皆様にどう映るか不安ではありますが、
ぜひ一度、御笑覧いただけますと幸いです。

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